木漏れ日

主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え山々に草を芽生えさせられる。
獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば食べ物をお与えになる。
主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人 主の慈しみを待ち望む人。

(聖書 詩編147篇8-11節 )


 じめじめ続く梅雨や暴風、豪雨に出会うと、私たちは明るく晴れた空と太陽を望みます。 太陽が照りつける暑い夏の日々が続くと、私たちは木陰に涼を求め、爽やかな風を期待します。

 私たちは知っています。これらの自然の営みは全ての草花、樹木、虫、動物、鳥を育まれる神様のみわざであることを。 灼熱の太陽も、うず高く積もる豪雪も、すべての生き物を生まれさせ、育てられる神様の恵みであることを。

 それなのに、私たちは神様の摂理を疎ましく思っていないでしょうか。他人をうらやんだり、腹立たしかったり、自分の思い通りにならないと思っていないでしょうか。 もっと強く、もっと早く、もっと賢く、もっと美しく、あれがほしい、これがほしい・・・・自分のことばかり考えていないでしょうか。  でも、主なる神様が望まれるのは、厳しい自然もまた神の愛の表れであることを知っている人。

ふと立ち止まり、見上げてみれば木洩れ日が注がれています。焼きつくような太陽も、それをさえぎる木々の枝葉も神様のわざのあらわれ。神さまの愛って、木洩れ日のようなものかもしれませんね