受胎告知

どうして、そのようなことがありえましょうか
(聖書 ルカによる福音書 1章34節)


 挿し絵をご存知でしょうか。1435-9年頃、フラ・アンジェリコという画家が描いた「受胎告知」の絵です。 右側にスリムで気品にあふれたマリア様、左側に膝をかがめ、胸に両手を合わせて恭順のポーズをした天使ガブリエルの姿が描かれています。 場面は、庭に面した、アーチ型の梁と細密な装飾を施した柱の部屋になっています。画面全体は静謐な、えも言われぬ雰囲気を持っています。

 「神によってキリスト・イエスを身ごもる」ということについて、アンジェリコは自分の信仰と技量の限りを尽くして描いたことでしょう。 ほかにもレオナルド・ダ・ビンチなど、多くの画家が「受胎告知」をモチーフとして描いています。 それらに共通しているのは、理想化された女性、妙齢の気品溢れるマリアと、神妙な天使が描かれていることです。

 では、実際にはどうだったのでしょう。聖書の「ルカによる福音書」の1章26節から38節を引用しましょう。

 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 当時の女性の結婚年齢は、15歳から18歳くらいでした。マリアはいいなずけ、つまり結婚前でしたから、13歳から16歳ぐらいだったでしょうか。 まだあどけなさの残った、少女からやっと大人にさしかかったくらいの年齢です。 聖書はマリアの容貌やスタイルについては何も語っていませんが、泰西名画のような成熟した貴婦人でなかったことは確かでしょう。
 ガブリエルは「おめでとう、恵まれた方」と語りかけますが、マリアにはピンと来ません。何のことだろうと考え込んでいたら、 「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」という、仰天するようなメッセージが告げられました。

 未婚の母、というのは今日の日本では珍しくないようですが、この頃のユダヤでは婚約者の姦通は軽蔑と非難の対象であり、 重大な裏切りとして死罪に当たるものでした。
 もしあなたがこのようなシチュエーションに遭遇したとしたら、どう思われるでしょうか。婚約者と両親にどう説明したらいいでしょうか。 「聖霊によって身ごもったのよ。」と話して、「そう、それはおめでたい事だね。」と祝福してくれる人は皆無だと思います。 「夢みたいな、いい加減な事言わずに正直おっしゃい!」とか、「この恥知らずが!」と、誰も信じてくれず、冷たい仕打ちをうけることでしょう。

 こんな滅茶苦茶なことはありません。「どうしてそんなことがありえましょうか」と、マリアがくってかかったのもむりはありません。 (聖書は丁寧な表現に訳されていますが、多分激しく緊張したやりとりだったことでしょう。) ・・・・「神にできないことは何一つない。」天使は厳しくつっぱねます。この言葉の前に、マリアは「お言葉どおり、この身に成りますように。」と、 けなげな返事をして、受け入れるしかありませんでした。

 もしあなたが男性で、婚約中だったらどう思われるでしょうか。親だったら、舅・姑だったらどう思われるでしょうか。 少女の話を素直に信じ、受け入れますか。
 「昔の人は素朴だったから信じた」と思われるかもしれませんが、そのあたりの状況は今も昔も変わりはありません。

 聖書は、私たちに向かっても「主(聖霊)があなたと共におられる。」と語りかけています。もしそうだとしたら、それはとても素晴らしい事なのに、 私たちは「どうしてそんなことがありえましょうか」と、受け入れるのを拒みます。また、たとえ自分が受け入れたとしても、 その事を周りの人にはなかなか言えません。世間一般の常識では突拍子もないことです。しかし、 神様は人間の思いを圧倒されます。マリアの否定にもかかわらず、イエス・キリストは身ごもり、誕生されました。

 「受胎告知」は、とんでもないメッセージです。「降誕」は「夢みたいな事」です。でも、私たちはこのことを真剣に受けとめ、クリスマスを迎えたいと思います。